「お酒のことを何も知らずに売っていた」


長谷部酒店
店長 長谷部賢

 前回、サドヤ醸造場の今井さんを訪ねたとき、ビジターズ・インダストリーの本質は「ビジターの知識や知恵に付加価値を付ける仕組みづくり」にあることを再確認した。そこで、今回はそのような取り組みをしている商店におじゃまし、その経緯を伺った。

「山梨の酒屋さんって意識が低いよね」…全てはその一言から
 1996年11月、勝沼のある小さなワイナリーに長谷部さんはいた。試飲室で、東京のレストランの人たちと試飲したワイン。「このメルロー(注)はいいですね」との会話に長谷部さんは全く入っていけなかった。メルローとは一体何のことを指すのか?勝沼は甲州とベリーAではなかったのか?そして、畑を見せてもらいながら、長谷部さんはついに決定的な言葉を聞くことになる。

『東京はもちろん、栃木、群馬、静岡などの酒屋さんはよくうちのワイナリーに来ますよ。でも山梨の酒屋さんはほとんど来たことないですね。ワインに対する意識が低いよね』

 問屋さんの情報をもとに、飛び込みで入ったワイナリー。まさか、初対面でこんなことを言われるとは長谷部さんは思っていなかった。

長谷部酒店外観 店舗正面

「大学を卒業して、東京のコンビニで2年間、流通の勉強をしました。大月に帰ってきて、ドイツワインがきっかけで、そこそこワインも扱うようになり、観光地猿橋で、試飲販売をしたときには3日間で10ケース以上売ったりもしました。94年には店舗を改装して、ワインを20種類くらい置くようにして、さぁこれからというときでした」

 ワイナリーの醸造家の言葉に、カチンときた長谷部さんは、早速、行動をおこす。

「本当に悔しくてね、言った相手ではなく、何にも知らないでワインを売っていた自分自身が情けなくて……。その日のうちに東京のワインスクールに電話をかけて入学を決めました」

 (注)メルロー:ワイン醸造用ぶどうの専用品種。

ワインアドバイザーへのチャレンジ
 1997年2月から3ヶ月間、週2回、長谷部さんは東京のワインスクールに通うことになる。幸い仲間にも恵まれ、その年の夏に開催されたワインアドバイザーの試験に合格する。それも、仲間全員が合格するという快挙でだ。

「どうせだったら、目的を持ってワインスクールに通いたかったから、同じクラスのメンバーに、ワインアドバイザーを目標にしようと言ったんです」


ワインコーナー
 それから99年にかけて、利き酒師、ワインコーディネーター、全国ワインアドバイザー選手権準決勝進出など数々の履歴を手に入れた。中でも、コンセイエというフランス食品振興会が認定するワインショップの資格は、お客さまとの関係性を深める手法について勉強させられたと長谷部さんは言う。

「フランスのどこの地域のどんな感じのワインを選ぶか?どんなプロモーションをして売るか?ワインアドバイザー試験以上にお客さまの立場から、ワインのことについて考えなければならなかったからです」

 コンセイエ試験には販売プロモーションの企画立案があった。販売ワインを選定し、その理由を記入するに当たって、かなり悩む。お客さま一人一人の好みや知識に合わせたワインをどう提供していくか。長谷部さんは、最終的に「自分が飲んで好きだから」と理由を記入することにした。

お客さまの好みのワインについて語り合う長谷部さん「今でこそ、樽香が強いワインも抵抗なく飲めるのですが、はじめはかなり抵抗感がありましたね。酸味が強いワインも平気な人とダメな人がいるんです。一概に酸が弱いからいいワインじゃぁないと言うことにはならない……」

 ある意味、急激な勉強によって素人からプロに転換してきた長谷部さん。だからこそ、ワイン素人の気持ちはよく分かる。その人なりの飲み方があってもいいのではないか。そして、少しずつワインの魅力を知っていってもらえればと、長谷部さんは考えるようになる。

作り手に代わって酒造りのこだわりを伝えたい
「さまざまな取り組みの中で、知れば知るほど、分からない世界があることが分かってきました。そして、知り始めると知らない世界がまた魅力的に思えるんです」

 こう分かったときから、そんな世界に挑戦している醸造家に、長谷部さんはますます畏敬の念を持つようになる。そして、自分が参加するだけのワイン会から、お店のお客さまにワインを知ってもらおうと独自のワイン会を99年1月から始める。

 
 ワイン会の様子


「月1回ペースで世界のワインを味わうワイン会ですが、最近では、会員の方から『山梨のワインをテーマにしてくれよ』という声も出てきました。でも、東京で行われるワイン会に参加すると、未だに山梨のワインはお土産用の甘いワインだと皆さん仰います。それが悔しくてね。山梨にも素晴らしいワインの作り手がいることを紹介したくて、今年の5月から東京でもワイン会を開催することにしました」

 こんなチャレンジを続けてきた長谷部さんに、最近うれしい出来事があった。

「ある県内ワイナリーの製品化に向けた利き酒会に参加させてもらったんですが、『どれがいいと思いますか』と私に聞いてくれたんです。実際のワイン造りに私の意見も入っていると思うと、ちょっと感激です。次は、私を目覚めさせてくれたワイナリーの醸造家とワインについて議論してみたい。それが私の次の目標です」


ぶどうの木の皮むき作業
 また、今年から勝沼ぶどうの丘の斜面にあるぶどう園を借り、農協のアドバイスを得ながら、仲間と一緒にぶどうづくりも始めた。

「ワイン用のぶどうというわけではないんですが、ぶどうづくりを体験することでぶどう生産者の気持ちが理解できるようになると思ったからです」

「最終的に商品を手渡す小売店は、生産者の気持ちを消費者伝え、消費者の気持ちを生産者に伝えるメッセンジャー」。こう言い切る長谷部さんは、ますます生産者に近づき、消費者に近づいていく。

 そして、そんな長谷部さんの取り組みのスタートも、まず自分自身が扱う商品について徹底的に理解し、愛着を持ち、自信をもってお客さまに勧められるようになるという、至極当前のことだった。流通革命、IT革命の時代、地域の小さな小売店の多くが苦境に立っている中で、長谷部さんはお客さまとの交流を通し、着実に自分の位置を確立しつつあると言えよう。

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