「パーツは作っていたんですが、どれひとつ『それは出来ます』と言えなかった」

道志村 潟cbク犬橋 佐藤智秀

木の玉を作る様子

部品づくりからの転換
 昭和53年。佐藤さんが、道志村で両親が経営する木工所に戻ったときのメイン商品は、玉のれんの玉、木琴の玉などの玉類や玩具の部品などだった。これを3人で作っていたのだ。

「でもね、ご承知のとおり、その頃から玉のれんなどの商品自体の需要は減ってきてね…。当然、その部品を作っているうちの受注数量もめっきり少なくなってきたんです。本当に、どうしたらいいんだろうという状態になったんです」

 そこで、何とか仕事を確保したいと思い、佐藤さんは木工細工で有名な小田原に出向く。昭和54、5年くらいの話だ。しかし、市の商工会で紹介された会社に行った佐藤さんを待ち受けていたものは、「挫折」という言葉だった。

「うちも一応木工所をしていたものですから、それなりの技術はあると思っていたんですね。でも、先方の商品を前に『これ出来る?あれできる?』という問いに、どれひとつ『それは出来ます』と言えなかったんです」
モックの入り口
 モックの入り口
 それからだった。佐藤さんが真剣に木工に取り組んだのは。まず、きっちりと部品が作れること。それが、全ての基本であった。
 そんな姿勢が取引先から評価されて、次第に仕事を拡大し、昭和63年には7人の従業員で会社組織を立ち上げた。株式会社モック犬橋の誕生だ。

 犬橋は道志村の地名で、佐藤さんも意識して道志村の材木を利用していたが、このころから村産の木がなくなりはじめた。横浜市の水源林として整備が進んだことと、山の仕事をする人がいなくなったためだ。そこで、今では隣の都留市の材木屋や県信連から県産材を買っている。
「あまり大げさなことは言えないんですけど、この10年は会社の基礎体力づくりの時期だったんですね。道志の材木という資源が身近にあったから、そこそこ出来たんだと思います」

 道志の材木は手に入らなくなったが、佐藤さんのこんな言葉からも分かるように、地域の素材を活用した新たな産業が、ここに立ち上がることになった。

 
工場社屋                            県産木材

オリジナル商品づくり
 平成に年号が変わってまもなく、佐藤さんはオリジナル製品作りに着手した。

「実は、小田原の会社で打ちのめされてから10年間、納入先の木工屋さんなどの参考になる技術や商品を見せてもらいながら、いずれうちでもオリジナル商品を出したいなという思いは常にありました」

ヨージとヨウコ そんな佐藤さんの思いを実現した第1弾は、楊枝立てだった。天然素材の木目を生かした楊枝立てだ。「ようじ」は、楊枝とも楊子とも書く。そこで、男性のスタイルの楊枝立てと女性のスタイルの楊子立て。名前は、ヨージとヨーコだ(右写真)。

「これはいけると思いました。それで、取引先のメーカーさんと一緒に営業に回ることにしたんです。九州の観光地などをぐるっと一周しました。まあ、楊枝立てだけでは弱いと思って、丸棒で作った『えもんかけ』も一緒に持っていきましたが」

 そこで、佐藤さんは新たな展開を迫られることになる。

「一点だけでは、ダメなんです。置いてくれないんです。興味は持ってもらいましたが、商品構成上、ぽつんと楊枝立てだけあっても売れないというんですね」

 この現場での営業活動が、佐藤さんに新しい発想を提供することになる。脈絡もなく製品作りをしてもダメなんだ。それが、モックの『シリーズもの』誕生のきっかけであった。

「それから、しばらく考えまして、今度は『人参シリーズ』を引っ提げて、浅草の物産見本市に出かけて行ったんです。九州を連れ回ってくれたメーカーさんの勧めもありましたんで…」
野菜シリーズ
 これが、大きな反響を呼ぶことになる。人参という意外なものに焦点を当てたということと共に、マグネットやボールペン、キーホルダー、あるいは楊枝立て、箸置き、さらには耳掻きまで人参で統一したことに驚きを持って見られたのだ。「実はまだまだ商品の種類が少なかった」という佐藤さんだが、人参という統一したテーマで商品を並べたことが、商品の少なさをカバーして新鮮に映ったのだ。

「いくつか取引をしてもらえたこと以上に、問屋さんや同業他社に『モック犬橋』という名前を認められたことが、その後の展開に役立ちましたね」

 ようやくつかんだきっかけを、佐藤さんはこのように語ってくれた。


ヨーコを持つ佐藤さん(工場内)

地域を背景とした商品づくり
 そんなシリーズをいくつか作りながら、全国各地で販売を展開していった佐藤さんだが、ある時、東京から来た人が「木の切れ端をください」と言ってきた。聞いてみると、ガーデニングに使うのだそうだ。
 そんなお客さんが何人も来るようになったとき、佐藤さんは工場脇に直売ショップを作った。何も問屋さんや小売り屋さんに売るだけではなく、直接お客さんに売ろうと。しかし、しばらくして佐藤さんは不思議なことに気がつく。

工場脇の直売ショップ                     ショップの中の様子
「道志という山間のロケーションだから売れる商品ってのが、やっぱりあるんです。この地域だから売れるもの。それは、東京のデパートの展示会だったら売れないことが多いんですね。これがいわゆる土地の産物、土産の原点なんでしょう」魚シリーズ
昆虫シリーズ
 直売ショップの方では、イワナやヤマメ等の魚シリーズ。クワガタやカブトムシの昆虫シリーズが好調だ。ライオンとか虎はあまり出ない。
 外から来た人が、思わず心を引かれるもの。家に帰って、それを見るとその土地の楽しかった思い出が浮かび上がるもの。そんなものを作りたい。これが、佐藤さんの次の課題になった。


「いろいろ考えたんですけど、山梨といえばやっぱり葡萄なんです。
最初は葡萄をテーマにしよう。そこで、勝沼に葡萄を見に行ったんですね」

 突然飛び込んだ観光葡萄園。そこの奥さんに、丁寧に葡萄のことを教えてもらった佐藤さん。ついでに、葡萄関係の土産の話まで伺う。なかなか地域の素材で作ったものがないんですと。

お礼の手紙「そこで去年、葡萄のマグネットやキーホルダーを作って持っていったんです。そしたら、ワイナリーにも置いてくれるっていうことになってね…、それに、お客さまからお礼の手紙まで来たのにはびっくりしました」

 佐藤さんは、今後もこのような地域の資源を活用した製品を作り、地域に来た人に提供していこうと考えている。

 部品メーカーから製品作りへ。そして直売を通し、地域に来たビジターに提供できる製品作りへ。
 佐藤さんの20年の取り組みは、まさしく交流型への産業展開・ビジターズ・インダストリー進展の流れであるといえる。やはり、産業展開には強い信念を長い期間持ち続けることが必要だと感じた訪問であった。

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