全てはお客さまが教えてくれた」


ホテル鐘山苑
代表取締役会長 細谷憲二

 
お客さま満足度90点以上の宿
「社長や会長が、ここで1時間以上お客さまと話をしていたら、途中でもう一度『何かお持ちいたしましょうか?』と聞くようにして下さい」

 インタビューを終えて席を離れるとき、細谷さんはコーヒーラウンジの社員にこう言った。本当は聞かれたくなかったのだろうか、「いえね、後になると忘れてしまうんでね」と言い訳をする。


 最近、鐘山苑の評判がいい。特に「おもてなし」の評判がいいとの声をよく聞く。そう言えば、JTBが行った「お客様満足度」調査でも、上位にランキングされている。
 ちなみに、満足度90点の以上の旅館・ホテルは全国で72軒(97年4月から98年3月の間、70万通の宿泊者アンケートによる。全国で3,124軒が対象)。山梨では
ホテル鐘山苑石和観光温泉ホテル慶山清里高原ハイランドホテル河口湖ウインレイクヒルホテルの4軒が90点以上。同じランキングに、あの湯布院の玉ノ湯亀の井別荘東京の帝国ホテルウエスティンホテルパークハイアットなどが名前を連ねる。


昼の懐石料理

『鐘山苑に、わたしの女房がランチを冷やかしで食べにいって、サービスの良さに驚いていました。山梨以外でも通用するサービス内容のようです。どうしてそうなっていったか事例として取り上げてみてもらえませんか』

 こんな電子メールもペンションのオーナーから届き、今回の訪問となった。

 その理由を細谷さんに伺うと、「大したことやってない。当たり前のことをしているだけなんだけど」と謙遜するのだが……。

 

織屋からの転換

 昭和46年、織物加工業の中央加工が社名変更し、鐘山苑を運営する中央観光鰍ェ誕生する。中央加工は山七織物という織屋も経営し、「ガチャ万」といわれるような高度成長の中で大きくなっていったが、先代の社長の決断で事業展開を図る。
 それは、当時、富士吉田の人の7割が織物業に携わる中での決断だった。このとき、先代は、温泉施設を作った。それが、今の鐘山苑の始まりだ。

 現社長の細谷さんは、昭和22年生まれの52才。東京の大学を卒業してそのまま東京の会社に勤務する。「帰るつもりはなかった」と細谷さん。しかし、誕生した鐘山苑は、オイルショックを契機に、経営が成り立たなくなっていた。

 そんな中、細谷さんは今後の事業展開についていろいろと相談を受ける。その結果、鐘山苑は結婚式場を始めることになる。そして、その第一線の責任者として、細谷さんは富士吉田に戻ることになる。

「当時、温泉の商売では赤字続き。会社を何とかしたいという気持ちで帰ってきました。でも、一生こちらにいようとは思っていませんでしたね。ある程度めどがついたら東京に戻ろうと思っていました」

 結婚式場は、ゴンドラや噴水など田舎にはない施設で評判をとる。3〜4年で会場も3つに増やした。経営的にもかなり上向いてくる。しかし細谷さんには、不満が残る。


結婚式場の噴水

「仕事にオンとオフが、ありすぎるんですね。結婚式だけでは。そうすると、優秀な人間はやめてしまうんです。お客さまにサービスすることが自分の満足と感じている社員にとっては、『何もしないこと』それが不満なんです」

 

本格的ホテルづくり

 そんなことも、ホテルに本格的に進出する原因だったが、実は細谷さんはこんなことも言っている。

「いやぁ〜、結婚式ではあまり言われなかったんですが、当時のホテルでは、営業してお客さんを入れれば入れるほど、文句が多くなったんですよ」

 これを何とかして見返してやりたい。宿泊施設も料理もサービスも……。そんな思いから、昭和58年、細谷さんはホテルのリニューアル計画を立て、60年9月、新装オープンする。
 最初は、とにかく部屋を埋めようとエージェントにお願いして団体客をどんどん入れた。もちろん格安料金で。それで、部屋の稼働率は9割を超えたのだが……。

「でも、2年ほどして気がついたんです。このままではいつになっても儲からないと。忙しいだけだと。そこで、念願だった高級旅館への道を探ったんです」

 ここまで来ればやるしかなかった。細谷さんは、再び銀行を説得して、ホテルを増改築する。バブルの終盤、平成元年に再スタートを切った新生鐘山苑は、エージェントや団体旅行に依存していた体質を改める。女性の小グループに的を絞って和風旅館のイメージを追い求める。

 
「客室」とチェックイン後の抹茶のサービス

「とにかく当時は、あちこち見て歩きました。じっと考えていてもアイディアなんか出てくるわけないじゃないですか。まずやってみる。そうしないと成功も失敗もない。ともかく、お客さまが来るまでがんばってみようと……。それだけでした。」

 こんなことを言う細谷さんだが、やはり転換時の1年半はお客が減って大変だった。回りからも、「こんなにお客さんが減っちゃってだいじょうぶなのか」という声もしだいに大きくなる。
 しかし、経営は結婚式場というベースに支えられている。そして、バブルで良いサービスを覚えてしまったお客さまは、程なく、そんなサービスを求めて鐘山苑に集まり出す。

 

温泉の湧出と人生の覚悟

 こんな事業転換を、オーナーのわがままと細谷さんは説明するが、やはり時代が求めたのだといえよう。細谷さんも、「ネイチャー・カルチャー・ノスタルジー」という時代背景を意識しての実行だと認識している。

「でも、時代を認識する以上に大切なのは、実は経営者にやる気があるかどうかなんです。そして、実際にやるかどうかなんです」

 こう細谷さんは断言する。そんな細谷さんも、温泉の湧出が自分自身の覚悟を決めた原因と振り返る。
 お客さまに満足してもらうサービスを提供したい。外観はともかく旅館内で「和」に触れることにより心を癒していただきたい。そういう思いが深くなればなるにつれて、細谷さんは逆に限界や無力感を感じていった。

「そうなってくるとやっぱり温泉なんです。日本人の癒しには温泉が不可欠なんです。ところが、昔から富士山麓では温泉が湧いたことがないんです。良いサービスをすればするほど、お客さまに申し訳ないなという気がしていたんです。『ここの温泉は何に効くの』というお客さまにどう答えたらいいのか……」

 平成4年、そんなことを感じていたとき、東京の友人から温泉を掘ってみないかとの誘いを受ける。「何言ってんだ。富士山麓には温泉が湧かないってのが昔からの常識だ」「いや、石油を掘る機械が今新潟に来ているんだ。それでやってみたらどうだ」
 早速、細谷さんは新潟に飛んでいく。機械を見た瞬間、「これならいけるかも知れない」そう思った細谷さんは、その場でGOサインを出す。

次の年、温泉が湧きました。今振り返れば、湧いてくるお湯に触った瞬間、私の意志が固まったように思います。これで、この仕事を私の人生にしていけるなってね」


富士山麓で初めて湧いた温泉

 覚悟を決めた細谷さんは、さらに良い「もてなし」づくりを求めてチャレンジを続ける。

 

経営者の気持ちに染まる社員

 経営者の気持ちを社員に分かってもらえるか。どうしたら社員が経営者と同じ気持ちで仕事をしてもらえるか。お客さまに接してもらえるか。
 これは、組織経営者がかかえる最大の問題である。特にサービス業においては接する人のサービス自体が商品なので、商品の品質自体の問題と重なる。お客さまに接する最後の一人がダメでも、鐘山苑自体のおもてなしがダメだということになってしまうのだ。そこで、どんな社員教育をしているかを細谷さんに聞くと、思いがけない返事が返ってきた。


ホテルの内装は全て地元の織物を使っている

「教育教育って、みなさんそうおっしゃいます。『鐘山苑では厳しい教育をしているから社員がしっかりしている』と。でも、社員が一生懸命になるのは、そんな教育をするからと違います。社員は経営者の姿をよく見ているのもです。口ばかりで、自分が遊んでばかりいる経営者のもとでは、社員も経営者と同じ気持ちになります。全ては経営者の行動しだいなんです」

 つまり、経営者の行動以上には、社員は働かないということだ。しかし、鐘山苑には350人の社員がいる。いったい細谷さんは、どのようにして自分の姿を社員に伝えているのだろうか。

「時間がある限り、現場で一緒に働くんです。それだけです。毎日、夕方6時になると布団を敷きにいきます。それが私の日課なんです。時間があるときは料理を運んだり、盛りつけをしたりもするんです」

 こんな実際のホテルの仕事を、社員と一緒にすることによって、お客さまからの声が社長にまで入るようになったと細谷さんは強調する。気軽に話せるようにしておかないと、上にはいい情報しか入ってこないと。

 

 お客さまが教えてくれる

 私は教育しているわけではありませんという細谷さん。しかし、教育については次のように話してくれた。

「今の鐘山苑のおもてなしのレベル。それは全て、お客さまが教えてくれたと言ってもいいかもしれません。私がいないところでの社員の個別の判断、そしてその積み重ねがとっても大切なんです」

 お客さまの指摘、注意。これに最も注意を払ったと細谷さんは言う。「あなた、これはだめよ。こうするものなの」というお客さまの声は、細谷さんにとっては宝物のように聞こえたという。社員にとっても、そんな教えの繰り返しで自分のもてなしに自信がつく。そうすると、ホテルにはそれなりのお客さまが集まるようになる。このようないい循環に、ここ3〜4年ようやく入ったと細谷さんは目を細める。

「いま年間、約20万人のお客さまに泊まっていただいておりますが、そのうち4割以上が、私どもの会員とでもいうべき方々なんです。いま、約5万人ですが、このところ急激に多くなってきて、コンピューターが爆発寸前なんです」

 細谷さんは、温泉をきっかけに、営業マンによる営業を縮小することにした。その代わり、一度来ていただいた方をファンにしてしまうくらいのおもてなしをしよう。そして、そのお客さまに鐘山苑の営業マンになってもらおうと考えた。
 エージェントとのトラブルの原因にはなったが、もう個別の時代だと覚悟を決めたと細谷さんは言う。そんなリピーターには、年4回、四季の鐘山苑の様子をダイレクトメールで送っている。また、気がついたときに直筆の手紙を出して、感謝の気持ちを伝えるようにしているという。

 
「春から初夏への鐘山苑だより」と細谷さんから届いたお礼の手紙

「いいお客さんはいいお客さんを呼ぶ。いい社員は、いい社員を呼ぶ」

 鐘山苑は、確かにそんなレベルに入ってきたと言える。だからこそ、いま、細谷さんはもっともっと社員と話がしたいと思っている。そして、もっと思い切っていろいろなことにチャレンジしてもらいたいと思っている。「まず、お客さまの意見を聞こうよ」そして、実際に、行動に移してみようよと言っている最中だ。

「先日、外国の方がお見えになったんですが、気を利かしてベッドの部屋をご用意させていただきました。しかし、お客さまは、『せっかく日本に来たんだからふとんに寝てみたい』こう思ったんですね。部屋を変えることになりましたが、これなんかも常識にとらわれないで、一言『どうなさいますか』とコミュニケーションをすればよかったんです」

 

やっている人が素晴らしいと思わない限り、お客さまが素晴らしいと思うはずない

 さらに、細谷さんは続ける。

「お客さまといいコミュニケーションをしていくには、自ら感動する心を持つことなんですね。たとえば、この桜の庭園を見てきれいだなという感動。このおもてなしは、素晴らしいなという感動。やっている人が素晴らしいと思わない限り、お客さまが素晴らしいと思うはずないじゃないですか

 
コーヒーラウンジから見た庭園

 細谷さんのお客さまに満足してもらいたいという気持ち。それを行動で示すリーダーシップ。それが、鐘山苑350人の社員全体に伝染する。そして、お客さまともっといいコミュニケーションをとろうと、それぞれがチャレンジを始める。
 こんな流れで、いまの鐘山苑のホスピタリティが作り上げられてきた。そして、その根本的な原因は、温泉の湧出と共にした細谷さんのホテルマンとしての人生の覚悟であったように思われた。最後に細谷さんは、自分に言い聞かすようにこう語りかけてくれた。

「全てに原因はあるんです。いいこと、悪いことには全て原因がある。そして、そのほとんどが自分にあると、そう思えるようになりました。お客さまへのおもてなしについてもそうだし、企業の経営についてもそうなんです。それを、他人のせいにばかりして自らを変えようとしないところに、いまの不景気の根本的な原因があるように思います。原因の本質を見抜く目を持つということが、これほど必要な時代はないんです」

 マネージャー自身が成長すること。マネージャー自身が成長し続けること。そして、マネージャー自身が成長したいと願い続けること。それが、今の組織経営者に最も必要なことである。なぜなら、それは、組織構成員(社員)を成長させる空気を生み出すからである。そんなマネージャーの姿に細谷さんが重なって見え、そんな空気が鐘山苑から感じられた。

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