世界に通用する日本ワインへの挑戦 − 仲間と共に−


Beau Paysage(ヴォー・ペイサージュ)の岡本さん

ワインづくり120年の歴史を超えて
 1999年3月。一人の若者が夢の実現に向け歩み始める。 それは明治10年(1877)、勝沼の二人の青年がワイン造りを学ぶために渡仏してから122年後のことだった。


畑の支柱づくりから自分たちで

岡本父も初めての農作業

完成した畑と八ヶ岳
「ぶどう畑の支柱は、解体するサクランボのハウスの廃材を利用したんです。農家の方にお願いして、ただで分けてもらって、自分たちでポールを切って…」

 農場づくりのスタート時を、岡本英史さんはこう切り出した。岡本さん、28才の時のことだ。この地、須玉町津金にぶどう畑を作り出して、今年で3年目の秋を迎える。

「98年の12月に、こちらに移り住みました。ある程度めどはつけていたのですが、引っ越しが終わっても畑を借りる確約がとれず、本当に焦りました」

 岡本さんは、愛知県出身。東京の大学を出た後、山梨大学でワイン醸造を学び、勝沼町のワイナリーに入社する。3年間、ワイン造りに励むが、心は自ら求めるワイン造りに傾いていった。会社が休みの度に、牧丘、穂坂(韮崎)、明野と、畑を探して歩き回り、ついに津金と出会った。

 標高が800メートルあり、日照量が多い割に夏が清涼であること。土壌が塩尻に似ていて、水はけがよいこと。そして過去13年の気象データが、世界の銘醸地フランスのボルドー、カリフォルニアのナパヴァレーとほぼ同じだということ。これが、津金に自分の人生の夢を託そうとした理由だという。しかし、なかなか土地を借りられない…。

「本当にお願いして…お願いして…、翌年の3月になって、ようやく少しずつ貸してくれる農家の方が出てきました」

 こうして、最初の年は0.7ha(70m×100m)の畑で、岡本さんのぶどう作りがスタートする。(3年目の今年は、1.7haに拡大している)

「家族総動員で畑作りに取りかかりました。シャベルで穴を掘り、支柱を立て、中古の耕耘機で耕しました。疲れた身体と相反するように、これから自分のワインを造るんだという気持ちの高揚で、少しも苦にはなりませんでした」

 必死の作業で、なんとか5月の苗植えに間に合い、こうして、『ぶどう作りから始まるワイン造り』が始まった。

夢を共有する仲間たち

苗植会には子供も参加

草取りが一番つらいかも…

芽欠き作業も一苦労

でも、汗の後に待っている楽しみ…
それは、葡萄の芽の天ぷらとワイン

収穫では、苦労も吹っ飛ぶ!
 実は、畑を借りられるかどうかということとは別に、岡本さんにはもう一つの不安があった。

「ぶどう作りの作業は、同時期に同じ作業をしなければならないんですね。苗植から始まって、枝の管理や収穫、そして剪定。面積が広くなればなるほど、一人でこつこつして間に合う作業ではないんです」

 ヨーロッパやアメリカなどのワイン産地では、そんなときには、大量のアルバイトなどを雇用して作業をしている。

「でも、意欲はあってもお金はないんです(苦笑)。それで、考えたのが…収穫作業を一般のお客さまに手伝ってもらうシステム、これを1年間のぶどう作りの作業に当てはめ、会員制の倶楽部を設立しようということなんです」

 幸い、近くの観光地「清里」にあるペンションのワイン好きオーナーも趣旨に賛同してくれ、ネットワークの輪が広がることになる。

「会の在り方は、会員の方のアイディアで今の形に落ち着きました。私が思っている以上に、皆さん、日本のワインの在り方について意識が高く、『ぶどう作りから始まるワイン造り』にとても関心を持っていることに驚かされ、そして、とっても励まされました」

 そんな葡萄倶楽部には、現在、約50人の会員が東京や大阪などにいて、年数回のぶどう畑での作業に参加している。作業の間の昼食や宿泊費は自分持ちであることはもちろん、入会費もあり、収穫バサミ、剪定バサミ、収穫籠などの購入に当てられている。

---------------------------------



 春先のぶどうの木の手入れは、剪定から始まる。実はこれが一番難しい作業だ。その年にぶどうが生る新しい枝(結果枝)を発芽する去年の枝(結果母枝)を2本選んで、残りの枝は切り落とす。今年の選定作業は、大雪のためかなり遅れて、3月10日〜11日の両日に行われた。

『アッ、違う』と言う声が、剪定の間に聞こえる。すかさず、岡本さんは『聞こえましたょ』と突っ込む。作業しているみんながどっと笑う。

 これは、3月10日の一こまだ。(詳細はこちら)このように、生産者と消費者が一体となってワインを造っていく。消費者にとって思い入れのあるワイン、生産者にとって顔の見えるワイン造り。生産…流通…消費を越えた交流がそこにはある。これはビジターズ・インダストリーという考え方の底辺に流れる考え方である。

 
100本のワインができた!
 1年目の秋、津金のぶどう畑では小さな木にチラホラと赤いぶどうが実をつけ、約100キロのメルロー種が収穫できた。


2年目、トラック1台約1トンの葡萄が

プレス機に入れられる葡萄

発酵の様子…色が濃い!

フルボトル約1100本のタンク
「1年目からワインを仕込むつもりはなかったんですが、これだけ穫れたのなら実験的にちょっと造ってみようかなと思い、友人のワイナリーにお願いして造ってもらいました」

 その数、ハーフボトル(360ml)にして約250本。翌春、津金の自宅で、岡本さんは初めてそのワインを口にする。4月1日、父親の誕生日、農作業を手伝いに来てくれた両親とアルバイトをしながら岡本さんを支えてくれている奥さんとの4人で静かに乾杯をした。

「グラスに注いだワインの色にまず目を奪われました。とにかく色が濃いんです。日本でもこんなワインができるのかってくらい!そして、口に含んだときのアタックが印象的で、ぶどうのポテンシャルが高いなと感じました」

 そして、このワインはぶどう作りに協力してくれた仲間達にも分けられた。自分が造ったワインが人々の生活の中で役立つ。岡本さんが初めて味わう充実感だった。

 津金に来て、約3年。ぶどう作りを通して岡本さんは多くの人と出会った。消費者、料理人、ペンションのオーナー…そんな人たちとの出会いが、これまで岡本さんが持っていたワインに対する考え方を、全くと言っていいほど変えた。

「以前は、世界に通用するワインを造ろうという思いだけだったのです。でも今は、津金の個性をもっと全面に感じられるワイン造りがしたいと思うようになりました。ワインを通して多くの人たちがこの津金を感じられるようなワイン…ぶどう畑に訪れてくれるようなワインを!」

 そして、いずれはこの地にワイナリーを作りたいと、岡本さんは夢を語る。「ワインを醸造するだけでなく、いろんな人と知り合えて、話が出来て楽しめる。そんなワイナリーがつくれたらなと思います」

 この春、ワインの販売免許もおりて、近くにある町の農村交流施設「おいしい学校」で売ることができるようになった。

 最後に、岡本さんにこれまでのチャレンジの感想を聞いた。

「楽しいです。やって良かったと思っています。ぶどうの木の成長と同じように、暖かく応援してくれるみなさんによって、私たちも成長していきたいと思います」


お問い合わせ先 : ヴォー・ぺイサージュ
TEL : 0551-47-4209
http://www.ne.jp/asahi/beau-paysage/okamoto/

2000年のボトル&ラベル

inserted by FC2 system