麹へと変化する米 糖化と発酵を繰り返し やがて酒が生まれる |
麹づくりの作業「切り返しをする谷桜酒造の蔵人たち |
「造る側、飲む側、双方の顔が見える環境を作っていきたい」
山梨銘醸
代表取締役社長 北原兵庫
縮小し続ける日本酒市場 |
「私がこの世界に入った20数年前には、酒蔵は全国で3,500軒ありました。それが、今では半分の1,700軒にまでなってしまいました」 甲斐駒ヶ岳の麓で造り酒屋を営む北原さんは、いきなりこうきりだした。実際に工業統計のデータを調べてみると、次のような驚くべき数字が出てくる。 |
出荷量 | 企業数 | |
1975年(昭和50年) | 2,360,123kl | 3,035軒 |
1997年(平成9年) | 1,528,287kl | 1,727軒 |
22年間の増減 | ▲35% | ▲44% |
昭和50年は、日本酒出荷量のピークの年であり、その後20年にわたり1/3のマーケットがビールや焼酎、ワインなどに奪われていった。実に83万キロリットルの日本酒が生産されなくなってきたのだ。これは、一升ビン(1.8リットル)で約4億6千万本に相当する。 山梨県内においても、昭和50年には37社の酒蔵が8,211klの日本酒を生産していたが、平成6年には16社、4,329klにまで落ち込んでいる。米作りの問題。杜氏制度の問題。消費者の嗜好の変化。そんな様々な問題を前に、日本酒市場は縮小し続けている。 「うちも7,000石あった生産量が4,000石になっています。でも、売上げはほとんど変わっていません」(1石:約180リットル:一升ビン約100本) |
250年、12代続く老舗の酒蔵も生産量が約4割減っている。しかし、売上げは維持していると北原さん。その原因は、吟醸、純米、本醸造という高級酒へのシフトと、何より、お客さまへ直接販売するようになったからだと説明してくれた。それには、「田舎の酒蔵として、蔵に来ていただき、直接酒造りを見ていただく」ことが大切だと北原さんは言う。そして、それは22年前の「蔵開き」をきっかけになされた企業革新の歩みでもあり、山梨県が進める交流型への産業展開であるビジターズ・インダストリーの流れとも言えるのだ。 |
22年続けている「蔵開き」 | |
「年間を通して約6万人のお客さまに、蔵にお越しいただいています。そのうち、県外のお客さまが約6割。そして、そのピークが2月の建国記念日をはさんだ10日間です。『蔵開き』のイベントには約1万人のお客さまがお見えになります」 実はこのイベント、先代の社長が県の酒造組合の会長をしていたとき、30数社の酒造メーカーが、県産酒のPRのため一斉に蔵開きをしたことに始まる。そのときは1日だけで300人くらいの参加者だったが、お客さまの「もうちょっと長くやってもらわないと来れないよ」との声で次第に期間を延長し、11回目から10日間開催するようになる。
北原さんの酒蔵へ訪れるお客さまの9割は、個人、家族連れ。そんな方々と、北原さんや従業員が酒造りについてコミュニケーションを図り、酒造りの実際の姿をお客さまに直接見ていただく。これが「蔵開き」の目的であり、訪問者に迎合するような受け入れ態勢には北原さんは否定的だ。 「実際、6万人も来るようになると、行儀が悪いお客さまも訪れるようになり、他のお客さまの迷惑になることも出てきました。ですから、試飲は実費の150円を頂くようにしました。また『蔵開き』も22回目から入場料300円を頂くことにしました」 蔵に訪れてもらうこと以上にお客さまとの関係づくりの方が大切だと考え、北原さんはあえて有料化に踏み切ることにした。そして、実際、この有料化で「蔵開き」は2割程度お客さまが減った。しかし、期間中のお酒の売上は逆に増えたという。それは、来ていただいたお客さまの満足度が高かったためだと、北原さんは考えている。 「蔵に訪れていただいた方、全員が全員、うちのお客さまになってもらえるわけではありません。うちの酒造りの姿勢に共感していただいた方がうちのお客さまなんです」 どうやら、蔵をお客さまに開放したこと、そして常に受け入れ態勢を整えてきたことが、日本酒市場激変の時代に、北原さんに大きな自信を与えたようだ。 |
閑話休題…日本酒ワンポイント知識! |
日本酒づくりは、世界で最も高度な技術が必要とされる酒づくりと言われています。それは、でんぷんを糖化する工程と、糖をアルコールにする工程が複雑にからみあっているからです。その工程のことを、「一麹・二もと・三造り」と呼んでいます。おおまかな工程は次のとおりです |
お客さまとの交流をもっと深めたい | ||||||||||||||||
「蔵開きも、最初は酒造りだけをお見せしたんですが、5回目くらいから作家の方の企画展を開催しているんです」 作家は、友人のギャラリーオーナー尾白さんにお願いし、できるだけ地元に居を構えている方にお願いしている。「北巨摩の魅力に誘われて移り住んできた方々の発表の場になればと思って、無料で場所を提供しているんです」と北原さん。唯一の条件が期間中の全日、会場に本人が立ち会って、お客さまとコミュニケーションをすることだそうだ。 「蔵開きは約6割の方がリピーターですが、最近では、地元の人が特産のとろ芋やひ ょうたんを展示販売したり、伝統芸能のトラ舞を踊ったりして盛り上がりを見せてい るんですよ」
そして、このようなイベントの情報発信は、基本的には友の会とともいえる「田舎酒屋の会」3千人をはじめとする1万5千通のダイレクトメールだけでしていると言う。しかし、web上で「山梨銘醸」を検索すると、地元白州町のペンションはもちろん、長坂町、さらには富士見町のペンションのホームページやメールマガジンなどで紹介されている。
「地元の方々に、うちを活用していただき、お互いにいい関係になってきてよかったなと思っています」 小さな点であった祭りが、地域を巻き込んだ面的な祭りに広がっていく。台ヶ原宿が、昔の宿場町の活気を取り戻し始めていると言ったら言い過ぎだろうか?しかし、少なくとも北原さんの20年にわたる実直な取り組みは、着実に地域に根付き、広がりを見せていると言える。 そして、そんなコミュニケーションをもっと深めたいと、北原さんは地域の素材を使った飲食を提案するアンテナショップ「臺眠」を蔵の隣に開設した。
さらに、白州町の農村休暇邑事業とタイアップした「米作り、酒造り体験」などで、お客さまとのより深い関係作りを進めるとともに、「自社杜氏」や農業法人による「酒造好適米作り」など酒蔵生き残りへの課題に、北原さんは積極的にチャレンジしている。
「いい酒を造り、お客さまに『うまい』と言っていただける。単純ですけど、これがとってもうれしいんです」 これから、このアンテナショップを拠点に、ファンとの交流を深めていく北原さんの姿が目に映るようだ。 |