『存在感』を求め続けた20年

(学)山梨学院理事長
山梨学院大学学長  古屋忠彦

 学生5千人を抱える山梨学院大学。長野、静岡や北関東を見渡してもこれだけの規模の私立大学は存在しない。かと言って、山梨自体が大学のマーケットとして大きいわけではない。平成11年度の県内高校卒業者数約1万人という数字から分かるように、学生の大半は全国各地からのビジターで構成される。
 若者の感性を育み、人間の尊厳を学ばせるステージとしての大学は、新たな交流による新たな価値創造の舞台でもあり、ビジターズ・インダストリー(集客交流産業)の典型ともいえる。
 時あたかも『高等教育ビッグバン』の時代。7割以上が定員割れの短期大学、地方の単科大学の不振、そして、2009年には大学全入時代が迫っている。その原因は18歳人口の減少という、言うなればマーケットの減少によるものだ。そこでは、多様な交流を創造するステージをいかに創り上げていくかが、集客の大きなポイントとなっている。
 山梨学院大学学長の古屋忠彦さんは、こうした時代をいち早く見通し、1986年、山梨学院大学経営のバイブルと言われる著書『大学進化革命〜迫りくる大学氷河期への提言〜』を執筆した。
 以後これに基づき、改革を進め、着実に結果を残してきた。ある民間の調査では、「山梨という言葉から何をイメージするか」との問いに第1位となったのは、富士山でもなく葡萄やワインでもない。山梨学院大学との結果が出たという。
 今回、そんな取り組みについて、学長の古屋さんにお話を伺った。

アメリカの田舎で見つけた「大学の存在感」
 昭和40年台に吹き荒れた大学紛争の嵐が去り、これからの大学像を求めて、古屋さんは昭和49年にアメリカ・カリフォルニア州立大学に留学する。そこでアメリカやヨーロッパの大学の姿を研究し、いくつか具体的なスクールマネジメントの手法は学んだ。しかし、環境が全く違う日本、それも山梨という地域にある大学はどうあるべきかというポリシーを、古屋さんはいま一つつかめないでいた。


山梨学院大学エントランス・蒼穹の門
「そんなときに、何かの用でユタ州に行ったんです。その仕事が終わり、時間があったんで、何か見ようと駅からタクシーに乗りました。『この町でどこかいいところへ連れて行ってくれないか』……。甲府でいえば昇仙峡みたいな所に連れて行ってくれるのかと思っていたら、なんと、ある私立大学へと連れて行かれたのです」

 きれいに整備されたキャンパスはもちろん、古屋さんを驚かせたのは、そのドライバーが大学のことについてやけに詳しかったことだった。

「『学部学科はこうなっている』『卒業生はこういう会社で活躍している』とか、『この大学の○○教授は、○○研究でノーベル賞候補にまでなった。彼はこの町の誇りだ』とか、非常に自信を持って私に説明してくれるんです。『これだ!』と思いました。地方大学のあるべき姿、着地点をやっと探り当てたという気がしました。それが、地域に貢献する『存在感』のある大学なんです。今でもその時のことは鮮烈に覚えています」

 永年、地場産業に人材を供給し続け、その地域に不可欠な大学。住んでいる人たちが自分のこととして誇れるような大学。そんな『存在感』を持つ必要がある。そして、それができれば、東京六大学以上の社会的存在意義があると、古屋さんは考えるようになる。
 ただ、古屋さんは、この出来事に感動しながらも、地縁血縁のような浪花節的な関係については否定する。


「ユタ州の例は、大学がテレビや新聞などできっちり地元に情報を伝えたり、施設を開放するなど住民の方に具体的な貢献をしているからです。情に訴えるようなやり方だと、ごく一部、ごく一過性で終わってしまいます」

 このような地域と大学の関係の理想的な姿を実現すべく、古屋さんの学長&理事長としてのチャレンジが、昭和54年から始まる。

夢の実現に向けて
 今でこそ、山梨学院大学は『個性派私学の旗手』というイメージが確立されているが、実は個性派を標榜するまでにも長い時間がかかっている。

「学長になってから、全国の学長会議はもとより、著名な先輩学長などとも可能な限り面談の機会を持ちました。その結果、スクールマネジメントの知識はそこそこ増えていきました。でもある時、学園運営の知恵はいっこうに身についていないことに気づきました」


40周年記念館

地域に開かれた図書館
 それぞれの大学は、歴史も規模も立地条件も違う。教職員の気風、学生の質、さらには大学を取り巻く様々な環境、地域によって異なる政治風土、時には自然環境さえ大学の個性づくりに影響を及ぼしている。
 分かってしまうと、こんな当たり前の事実に気づくのに何年もかかってしまったと、古屋さんは笑う。山梨学院大学が本格的に大学アイデンティティづくりに取り組んだのは、実はそのことに気づいてからだった。


「山梨は教育機関の立地としては、あまり恵まれてはいません。圧倒的に人口が少ないからです。ただ、そういうところでもある種のアイデンティティを確立すれば成功するはずだと信じました。そしてまず、自らの大学を解剖分析し現状をしっかり見極めた上で、固有の長所などを見つけだすことから始めました。今の大学の成熟度、財力、人的資源などを正確に把握する。自分としては受け入れたくないものもありましたが、先に進むにはまずこのことが大切ですね。年齢と体力を無視した運動が逆効果なように、いきなり夢を実現しようというような背伸びは倒れる原因になります」

山梨学院大学ロゴマーク 大学のCIともいえるUIとイメージ戦略。図書館など教育施設の整備。学部学科の再編。優れた研究者の招へい。就職活動のサポート。箱根駅伝をはじめとするカレッジスポーツの振興。学生の個性的な活動に対して資金を助成する「チャレンジ制度」の創設。県内大学を連携した公開講座。中国の大学などとの学術交流。山梨文化創造フォーラムの支援。市民情報局・エフエム甲府への参加。そして、平成11年には、地元『酒折』の地域文化復活を目指した酒折連歌賞の創設。
 様々な取り組みをする度に、山梨学院大学は着実に『若々しくオリジナリティあふれる大学』というイメージを確立していった。

箱根駅伝…詳細はこちら

酒折連歌賞…詳細はこちら
「やっぱり、オリジナリティあふれる大学というような抽象的な哲学を、イメージとして定着させていくには10年はかかるんです。そこには、これをやればいいというような決定打はないんですね。ですから、山梨学院大学は個性的なことをしているんだと、機関銃のように撃ち続けたんです」

 機関銃のようにというと、何かあれもこれも闇雲のように聞こえるが、そこは「オリジナリティづくり」という一貫したコンセプトに基づいている。

「そして、蒔いた種にはしっかり水をやり育てる。そうすると必ず芽が出るんです。『昔の学院とは違うずら』と地元の人から言われたときはうれしかったですね。故郷に根づいて、故郷の人たちから支持される……男冥利に尽きますね」

 平成4年の第68回箱根駅伝初優勝の際、古屋さんは、『これで、卒業生にいくらか恩返しが出来た』というコメントを残している。学長になって14年目の出来事であったが、この言葉には、昔の山梨学院大学のイメージを払拭できたという思いがこもっている。


スピード感あふれる大学経営
 山梨学院大学は、中堅規模の大学としてはめずらしく、学長と理事長が同一人物だ。そして、そのこと自体が、現在の『高等教育ビッグバン』を見越して、15年以上も前から様々な取り組みを行ってきた大きな原動力ともいえる。変化の時代に舵を取るリーダーシップが、そこにはある。
 そんなスピード感あふれる大学経営・運営により、全国的にも一歩も二歩も進んでいるように見える山梨学院大学だが、実は古屋さんは、今後6年間が本当の生き残りの勝負だと考えている。



FM甲府、生涯学習センター、国際交流
事務局などがある50周年記念館
「あちらこちらから、これまで20年の取り組みは成功しましたねと言われますが、今はまだチャレンジの途中だとしかお答えできません。駅伝でいえば、『たすき』をつないで7区を走っているところですね。これから8、9、10区を走りきり、シード枠に入れるかどうか……。ですから、これからの6年間、私の仕事は、理事長85%、学長15%で行かざるを得ません。と言うのも、今まで、全国600余りの大学は、具体的な行動に移すだけの危機感がありませんでした。しかし、18歳人口の減少を目の当たりにして、これからはそれぞれの大学が独自な改革を進めてきます。一気に大学間競争が激しくなり、6年後には決着がついているでしょう。そこで生き残ったら、学長60%、理事長40%の本来の姿に戻します」

 偏差値による大学の序列化ピラミッドのなかで、上位の大学に盲目的に追随してきた多くの大学も、少しずつ動き出していると古屋さんは言う。それに、国立大学の独立行政法人化問題が重なる。

「シナリオが不透明で、確定的なことは言えませんが、独立法人化は、どこまで行っても独立法人化であり、私学と同じ学校法人ではありません。しかし、国立大学の私学化がもたらす効果は、今までの国立大学以上に強力な私立大学のライバルに変身するということなんです。非常に厳しい競争に突入しますが、市場原理の名のもとに『存在感』のある大学まで淘汰させてはならないと思います」


学生センターなど学生の交流拠点
キャンパスセンターを建設中
 現在の150万人の18歳人口が、2002年から2009年にかけて一段と減り、2割減の120万人になる。今の小学校3年生121万人が18歳になるときには、希望者全員が大学に入れる計算だ。

「入試の受験科目を少なくして学生を確保しようということをやりだしてる所もあるようですが、そんな表面的な取り組みは1、2年で効果がなくなります。そもそも、これからは、倍率が高いということはプレステージではありません。これからの大学は、独自のオリジナリティに基づいて、研究とか教育とか専門職養成とかそれぞれ力を入れるべきテーマ別に分かれると思います。そのなかで、どんなステージを学生や地域に提供できるか。胸を張り、自信を持てるようにまで育て上げるかが大切になっているのです。そうすることによって、受験生や企業からの引き合いの絶対数は減るかもしれませんが、歩留まりは極めて高くなると思います」

 この考え方は、2007年を境に日本の人口が減少する、つまり国内マーケットが減少していく時代に企業が考えなければならない方向性でもある。また、それだけでなく、環境首都と観光立県という一義的には相反する政策をブリッジする考え方ともいえる。


平成7年1月7日、箱根駅伝3度目の総合優勝の記念パレード
では、3万人の県民の祝福を受けた。「東京の大学が優勝して
もこんなことはない」と古屋学長。(写真提供:山梨日日新聞)

 ユタ州のカルチャーショックから生まれた古屋さんの夢は、高い志を持った夢ゆえに、やがて教職員に伝染し、山梨学院大学組織の夢と重なり合う。そして、その夢を実現するステージが、学生たちの多彩なオリジナリティを育み、その夢はしだいに地域に住む人に影響を与え、関係性を深めていく。

古屋学長「でも、夢を語ってばかりでは夢を実現することはできません。実際に夢を実現するには、常に目標が必要なんです。ただ、設定する目標は実現不可能であってはいけません。そして、一つの目標が達成されれば、それが教職員や学生の自信につながり誇りになります。それを糧に、次の目標をすかさず設定するのです。それが経営者の大きな仕事なんです。結果は、その積み重ねからしか出てきません。これからも、過去の歩みを検証しながら、気負わず、等身大の大学づくりを粘り強くやっていくつもりです。……日本一の大学づくりを目指してね。それには、誰よりも自分自身が本気でその夢の実現を信じることだと思います」

 全ての大学は、その存在意義を確認し夢の実現に向けて行動することで、日本一の大学になれる資格があると、古屋さんは言う。山梨学院大学もそれに向けてまだまだチャレンジ中だと。
 NO1からONLY1へ。まさにこの言葉は、県内産業界へのエールといえよう。

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